2008年 08月 26日
すごい 再会!世間は狭い。 |
とても私なりに驚いて まとまりのない文章になっていますが、 まあ お盆あけということで許してやってください。
懲りずに読んでくださいね。文章めちゃくちゃやけど。
13年前 雑貨屋したさに 15年間勤めた会社を退社しました。
今が時期だ!こっちにない雑貨屋をOPENさせたい思い勢いだけで
突然退社を決意しました。
でも 実際 雑貨屋の経験もなく、 ただお堅い仕事をしながら 雑貨がすきって いう単純な思いで後先を考えず、退職した自分を 今 すごいむちゃな奴。と思います。(今だったらできないかも)
でっ 実際5月退社で 職安で手当てをもらう手続きをし、3ヶ月後からしか手当てが出ないと知ったのもそのときで 何も世間知らずの だだのOLさんだったことをこのとき感じました。
さてっと この3ヶ月なにするべーーー。。と最初の1週間だけ 朝起きて 会社行かなくっていいんや。。と ちょっと ひたったものの、 だんだん不安になってきました。
でっ 東京にまず行こう。 と決意。東京の友達のお家に居候させてもらい
東京雑貨屋偵察計画にスタート。
毎日行く当てなく 雑貨屋という雑貨屋をめぐる。。。
でも 一体みなどこからこんなもの仕入れているんやろう。。。
雑貨業界の右も左も知らない私。
だんだん不安になりながらも東京で だらだら 雑貨屋めぐり。
ある日 その頃マイブームはLEEとかに載っていた白金台のパトリスジュリアンのおうちをレストランに改造してる 彼のお店に行きました。
雑誌に出ているまんまの南フランスな風なレストランでした。
パトリスジュリアン本人もいて あちゃー 雑誌の中にやってきた気分ですし、
出てくるお料理も ハーブ焼きや とにかく 13年前の高松にはあんまりないようなお料理ばかりで 感動 感激。。。
パトリスの店にあるものすべてがかわいい。。
そのときの時々雑誌では見ていたけど この鍋ルクルーゼと このお皿エミールアンリ
を売る店をしたい!とおもいパトリスに尋ねました。(まだ高松にはそごう(天満屋)とかもなく
ルクルーゼ、エミールアンリはなかったはず)
すると 簡単に色々教えてくれてくれました。
そこからです。本格的に動けだしたのは。。
さっそく次の日に メーカーにアポとって事務所に伺いました。
いつか お店しようと 思っているので 仕入れさせてください。
と 取引というか 中途半端な交渉を口約束してきて。。。
そのときに交換した名刺がこちら
まだ店持ってもない どこの誰かもわからない私に 業者さんが初めてくれた名刺です。
とても大切なものです。
雑貨屋になる勇気をくれた名刺です。(名刺の上の社名です)
心のなかでは(うれしげに言ったもののマジで私店できるんかいや。)
と。。。。。。なんか 達成感を感じてか それからは 東京にいたけど
どうにかなる。。という自信もつき。。。。
でも まだ 店舗の決めてないのにという不安もよぎりながら、
横浜の友達と急遽 パスポート片手にロスに飛び立ちました。
これはニートだからこそできることです。
輸入雑貨屋さんするんだから アメリカはもう一度する前にいっとかんと。。。
と。。。LAでは いろいろ 波乱万丈旅でしたが その日その日のモーテル暮らしはハラハラどきどきの毎日で 色々勉強になった 事がたくさんありました。
ビバリーヒルズを車で走ってみたり、サンディエゴで迷子になったり。。。。
(こんなアメリカ話は 今日のタイトルにまったく関係ないことに 今気づきました。)
そして アメリカから帰ってきて まだ東京にいるときはいいけど
その後 職安に行くために高松に帰ってきて 琴電の電車に乗ったとき 現実に引き戻され
私は高松で店をするために仕事をやめてるんや。。。
ヤバイ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。と
そして 高松で 店舗探し、手芸やさんだった所を解体する。枠だけだけど自分なりの店が1から作れる今の場所と出会うまで2ヶ月。
店舗も決まって もう一度 東京へ。
とうとう することになります。よろしくおねがいします。
と メーカーさんに 改めて交渉しに行きました。
もちろん快く受け入れてくれて 12月にOPENすることができました。
お陰で エミールアンリとルクルーゼのあるお店は実現しました。
OPENしたてのうちのお店。
ここから本題
そのメーカーさんは
(いつか讃岐にいきますね。。。といいつつも 一度もこられない。)
東京の展示会で会っても (遠おいですしね。。四国。。。)と来る気まったくない。
そのその メーカーさんがこの間 突然 店にやってきた。キター!!!
えっ?なんで?なんで?アポなしで。。。
すると
Aさん(結婚を考えている彼女ときました。彼女の里がこっちなもんで 直島にも来たかったし。。)
私(へええええええええええええええ。)
いろいろ話していたら びっくり。その彼女さん。
私のお友達の(かなり若いけど)実のお姉ちゃん!だったんです。
すごくない? 13年前に偶然東京で出会ったメーカーさん。 この方たちのお陰で店OPENできたといってもいいくらいの恩人(途中 来てくれなかったけど)が
それまで 四国になんの興味もなかった メーカーさんが
この広い日本 これだけ男と女がいるっていうのに 偶然友達のお姉ちゃんと 結婚ですよ。。。。
私が この彼と名刺交換してる頃 高松で高校生してたはずよ。
東京と 高松といえども。。すごい。。。。。。。。世間は狭い。縁ってのはこわい。
で これから高松にちょくちょく来ることになるらしいです。
なんか私たちも縁があるとしか思えない。まさかこんな形で四国で再会するとは。
高松のことだったらおまかせちょん。。。代官山ではじめてお会いしたときがなつかしい。。。。
お幸せに。。。。。。
話長くって すんません。でした。。。それくらい 興奮していて まとまりつかんくらい驚いているのです。
その 初めて四国にきたメーカーさんと彼女さんです。二人は 雑貨のメーカー同士で知り合い
ゴールイン予定。。。 さぞ 雑貨にかこまれた 素敵な家庭を築くことでしょう。
罰として 家庭訪問してやる。
懲りずに読んでくださいね。文章めちゃくちゃやけど。
13年前 雑貨屋したさに 15年間勤めた会社を退社しました。
今が時期だ!こっちにない雑貨屋をOPENさせたい思い勢いだけで
突然退社を決意しました。
でも 実際 雑貨屋の経験もなく、 ただお堅い仕事をしながら 雑貨がすきって いう単純な思いで後先を考えず、退職した自分を 今 すごいむちゃな奴。と思います。(今だったらできないかも)
でっ 実際5月退社で 職安で手当てをもらう手続きをし、3ヶ月後からしか手当てが出ないと知ったのもそのときで 何も世間知らずの だだのOLさんだったことをこのとき感じました。
さてっと この3ヶ月なにするべーーー。。と最初の1週間だけ 朝起きて 会社行かなくっていいんや。。と ちょっと ひたったものの、 だんだん不安になってきました。
でっ 東京にまず行こう。 と決意。東京の友達のお家に居候させてもらい
東京雑貨屋偵察計画にスタート。
毎日行く当てなく 雑貨屋という雑貨屋をめぐる。。。
でも 一体みなどこからこんなもの仕入れているんやろう。。。
雑貨業界の右も左も知らない私。
だんだん不安になりながらも東京で だらだら 雑貨屋めぐり。
ある日 その頃マイブームはLEEとかに載っていた白金台のパトリスジュリアンのおうちをレストランに改造してる 彼のお店に行きました。
雑誌に出ているまんまの南フランスな風なレストランでした。
パトリスジュリアン本人もいて あちゃー 雑誌の中にやってきた気分ですし、
出てくるお料理も ハーブ焼きや とにかく 13年前の高松にはあんまりないようなお料理ばかりで 感動 感激。。。
パトリスの店にあるものすべてがかわいい。。
そのときの時々雑誌では見ていたけど この鍋ルクルーゼと このお皿エミールアンリ
を売る店をしたい!とおもいパトリスに尋ねました。(まだ高松にはそごう(天満屋)とかもなく
ルクルーゼ、エミールアンリはなかったはず)
すると 簡単に色々教えてくれてくれました。
そこからです。本格的に動けだしたのは。。
さっそく次の日に メーカーにアポとって事務所に伺いました。
いつか お店しようと 思っているので 仕入れさせてください。
と 取引というか 中途半端な交渉を口約束してきて。。。
そのときに交換した名刺がこちら
まだ店持ってもない どこの誰かもわからない私に 業者さんが初めてくれた名刺です。
とても大切なものです。
雑貨屋になる勇気をくれた名刺です。(名刺の上の社名です)
心のなかでは(うれしげに言ったもののマジで私店できるんかいや。)
と。。。。。。なんか 達成感を感じてか それからは 東京にいたけど
どうにかなる。。という自信もつき。。。。
でも まだ 店舗の決めてないのにという不安もよぎりながら、
横浜の友達と急遽 パスポート片手にロスに飛び立ちました。
これはニートだからこそできることです。
輸入雑貨屋さんするんだから アメリカはもう一度する前にいっとかんと。。。
と。。。LAでは いろいろ 波乱万丈旅でしたが その日その日のモーテル暮らしはハラハラどきどきの毎日で 色々勉強になった 事がたくさんありました。
ビバリーヒルズを車で走ってみたり、サンディエゴで迷子になったり。。。。
(こんなアメリカ話は 今日のタイトルにまったく関係ないことに 今気づきました。)
そして アメリカから帰ってきて まだ東京にいるときはいいけど
その後 職安に行くために高松に帰ってきて 琴電の電車に乗ったとき 現実に引き戻され
私は高松で店をするために仕事をやめてるんや。。。
ヤバイ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。と
そして 高松で 店舗探し、手芸やさんだった所を解体する。枠だけだけど自分なりの店が1から作れる今の場所と出会うまで2ヶ月。
店舗も決まって もう一度 東京へ。
とうとう することになります。よろしくおねがいします。
と メーカーさんに 改めて交渉しに行きました。
もちろん快く受け入れてくれて 12月にOPENすることができました。
お陰で エミールアンリとルクルーゼのあるお店は実現しました。
OPENしたてのうちのお店。
ここから本題
そのメーカーさんは
(いつか讃岐にいきますね。。。といいつつも 一度もこられない。)
東京の展示会で会っても (遠おいですしね。。四国。。。)と来る気まったくない。
そのその メーカーさんがこの間 突然 店にやってきた。キター!!!
えっ?なんで?なんで?アポなしで。。。
すると
Aさん(結婚を考えている彼女ときました。彼女の里がこっちなもんで 直島にも来たかったし。。)
私(へええええええええええええええ。)
いろいろ話していたら びっくり。その彼女さん。
私のお友達の(かなり若いけど)実のお姉ちゃん!だったんです。
すごくない? 13年前に偶然東京で出会ったメーカーさん。 この方たちのお陰で店OPENできたといってもいいくらいの恩人(途中 来てくれなかったけど)が
それまで 四国になんの興味もなかった メーカーさんが
この広い日本 これだけ男と女がいるっていうのに 偶然友達のお姉ちゃんと 結婚ですよ。。。。
私が この彼と名刺交換してる頃 高松で高校生してたはずよ。
東京と 高松といえども。。すごい。。。。。。。。世間は狭い。縁ってのはこわい。
で これから高松にちょくちょく来ることになるらしいです。
なんか私たちも縁があるとしか思えない。まさかこんな形で四国で再会するとは。
高松のことだったらおまかせちょん。。。代官山ではじめてお会いしたときがなつかしい。。。。
お幸せに。。。。。。
話長くって すんません。でした。。。それくらい 興奮していて まとまりつかんくらい驚いているのです。
その 初めて四国にきたメーカーさんと彼女さんです。二人は 雑貨のメーカー同士で知り合い
ゴールイン予定。。。 さぞ 雑貨にかこまれた 素敵な家庭を築くことでしょう。
罰として 家庭訪問してやる。
by kcpeople
| 2008-08-26 18:42